PC黎明期
1989年、事業所給食サービスの会社で約22年務める中で、600食近くの食事提供業務のほか、食材管理、献立管理、人事管理を含め事業所業績管理全般の帳票管理業務を担ってきた。そんな中、入社当初は日報、週報、月報など帳票管理はすべて手書き。献立表やレシピ作成ももちろん手書きでしたから、土日もなく毎日多忙を極めていました。
1990年代になってようやく会社でも管理業務のPC化がすすめられ、事業所にもやっとPCが配備された。当時のPCは真っ黒画面MSDOSだった。インターネットもまだ発展途上で一般に使えるレベルではなく、モデムを使用した「ピー、ピー、ガラガラー」とファックスを送る時のような音を出す通信方法だった。それでも本社への報告帳票業務は非常に簡素化され業務は飛躍的に軽量化された。

MSDOSの真っ黒画面
90年代後半になると、PCはやっとWindows97の時代になり業務はさらに飛躍的に効率化したが、食事提供業務の中で調理作業以外のレシピ作成、献立表作成、食材発注表、在庫管理票などは相変わらず手書きの時代は続いていました。そんな中でも一番苦労したのが、10名を超えるパートさんの勤務シフト表作成と献立原価シミュレーションでした。
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シフト表では、調理作業を担うパートさんの業務は数種類の料理の調理補助から各料理ごとの担当サービス、各人の契約時間(3時間の人、4時間の人、8時間の人と様々)、有給の消化、各人ごとの希望休、年収額の調整など複雑様々な条件を組み合わせて、鉛筆をなめなめ3日も4日もかかって作成していました。
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献立表では、一日3食、各数種類の料理の原価を総合的に組み合わせ計算して1週間ごとに適切な平均原価を得られるように調整する作業がやはり鉛筆をなめなめでしたから、毎日、毎食ごとの調理業務はそっちのけだったのです。
PC人生のはじまり
会社がPCを導入し始めると同時期に筆者も独学でPC技術を勉強し始めました。まだノートパソコンは30万近く、ハードディスクも別売りで10MBで10万円もしました。OS(MSドス)や各ソフトも勿論別売りでしたが、総額70万以上の月賦で購入しました。絶対に失敗できないチャレンジでした。
キーボードソフトでタイピング練習から初めて、日本語データベースソフト桐Vr4で分厚いマニュアル本と格闘しながらレシピ作成システム、献立シミュレーション、食材発注自動化システム、業績管理、予算管理システムなどを次々完成させました。

日本語データベース管理システム
Excelとの出会い
PC技術も徐々に上達しWindows97が出たころには筆者のPCにもExcelを導入されました。最初のころはただ表計算をしているだけでしたが、やがて付属機能のVBAで様々な自動化帳票が作成できるようになり、あの、4日もかかっていた複雑なシフト表作成も20分で終了できるようになっていったのです。桐でプログラミングの基礎を時間をかけて勉強したおかげで、VBAの理解、習得は比較的容易だったのです。その後は、VBAは事務作業の飛躍的な効率化実現のため活用できる重要なツールとなり続けました。
病魔に倒れて
慢性腎不全になって治療専念のため退職後は一時期PCから離れましたが、透析治療導入後はベットにいる時間が長くなった為、この時間を活用してJavaの勉強も始めました。AndroidStudioで簡単なスマホゲームを作ったり、体調管理の為のスマホで体温、血圧、栄養など一括管理できるシステムを作れるようになりました。
最近ではまた、VBA始めました。IEデータスクレイピングを勉強しています。
データ
- 出身:北海道十勝
- 現住所:福島県いわき市在住
- 職業:自動車整備工、旋盤工を経てラーメン専門店、洋食レストランでの調理業務から大手給食サービスマネジメント会社でシェフ兼マネージャーを22年勤め、2010年56歳で早期退職後現在無職
- 怪我病気歴:左腕骨折、右足骨折、鎖骨骨折、右肩骨折、尿路結石、慢性閉塞性肺疾患、慢性腎不全
- 血液型:A型
- 治療:2013年血液透析開始
- 趣味:エクセルVBAプログラミング、Androidアプリプログラミング、ブログ作成、サンデーDIY、海釣り、料理
- 免許:自動二輪免許、普通自動車免許、調理師免許
私という人間
性格(良いところ)
温厚。
人と争わない。
性格(悪いところ)
人の言うことを聞かない。(自分の思ったことしか信じない)
物事に立ち向かわない。チャレンジしない。(逃げる)
物事の考え方
なんとか成る。(成るようにしか成らない)
先のことは心配しない。(その時になったら考えて対処する)
人は人、自分は自分。(人の言うことを気にしない)
何でも深く考えずにとにかくやってみる。
エピソード1
慢性腎不全となり、長く勤めた会社も追われ、更に透析生活になった。
ショックな事が続いても、くじけず病気と向き合い生きていく覚悟を決められた。
エピソード2
東日本大震災、原発事故が起きて皆が放射能に翻弄されていたが
不思議と冷静に事態を受け入れて、逃げ惑わなかった。
何も分からない自閉症の鮎斗くんと毎日公園を散歩していた。
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